トランプ政権の新しい世界観とは何か
National Security Strategy (2025年11月)
アメリカが新しい国家安全保障戦略(NSS)を発表しました。この文書が異例なのは、その中心的なメッセージです。軍事力と経済力は、もはや別々の道具ではない — それらは同じ一つの道具である、というのです。
この投稿では、この新戦略の意味を読み解いていきます。
「国家安全保障戦略(NSS)」とは、アメリカが世界をどう見て、どう行動するかを示す設計図です。
Goldwater-Nichols法(1986年)は大統領に毎年の議会提出を義務付けていますが、実際には慣行として1政権につき1本の発行にとどまってきました(レーガン政権2本、クリントン政権7本を例外として、ブッシュ・オバマ・トランプ第1期・バイデンはいずれも1〜2本)。
2025年11月に発表されたトランプ第2期版は、過去のものより短く(35ページ)、そして格段に直截的な内容になっています。
2025年NSSはなぜ異例なのか — 2017年との構造比較
2025年NSSを正しく理解するために、同じトランプ政権が第1期に発表した2017年NSSと比較してみます。この8年間で、単なる政策の強化ではなく、戦略の根本的な哲学が変わりました。
文書の性格:省庁調整から政治的マニフェストへ
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次元 |
2017年NSS(第1期) |
2025年NSS(第2期) |
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文書の性格 |
省庁横断的な官僚制産物(55ページ) 国家安全保障会議・国務省・国防省が 協調して作成 |
政治的マニフェスト(35ページ) 少数の政治的幹部が起草 「お役所仕事のリスト」を明示的に否定 |
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国際秩序観 |
自由主義的国際秩序を内側から改革 WTO・NATO・IMFを強化・主導する 「制度の守護者」としてのアメリカ |
秩序そのものが失敗と診断 グローバリズムを「壊滅的な賭け」と断定 国家主権が唯一の正統な統治原理 |
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ドクトリン名 |
「原則に基づくリアリズム」 (Principled Realism) |
明示的なドクトリン名なし 「America First」の実践として位置付け |
中国観:修正主義国家から中枢的脅威へ
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次元 |
2017年NSS |
2025年NSS |
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基本フレーム |
「修正主義大国」として競争しつつ 協力の余地を認める 「米国は中国との協力を継続しようとしている」 |
すべての政策を組織化する中枢的脅威 関与政策を「失敗した実験」と明示的に断定 |
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経済政策 |
知的財産窃取・強制技術移転・ 不公正貿易をWTO改革で対処 |
145%関税・サプライチェーン切断・ 対中アウトバウンド投資制限 |
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台湾 |
標準的な外交的言及 「一つの中国」政策の範囲内 |
軍事・半導体チョークポイントとして 明示的にリスクを位置付け |
同盟:戦略的資産から取引関係へ
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次元 |
2017年NSS |
2025年NSS |
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同盟の価値 |
「同盟国と友好国はわが国の力を倍増させる」(正の合計ゲーム) NATO: GDP比2%を2024年までに |
取引的・条件付き 「自発的により多くの責任を引き受ける国がより有利な扱いを受ける」 NATO: GDP比5%を要求 |
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欧州へのスタンス |
「強く自由な欧州は米国にとって 死活的に重要」 ロシアが主要脅威 |
欧州は「文明的消滅」の危機にある ロシアへの言及がほぼ消滅 欧州連合(EU)を主権を侵食する 超国家的機関として批判 |
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日本・韓国・豪州 |
「重要な同盟国・パートナー」 積極的な関与を継続 |
防衛負担分担の増加を条件に保護を継続 |
経済政策:市場主義から国家資本主義へ
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次元 |
2017年NSS |
2025年NSS |
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貿易赤字 |
是正すべき経済問題 WTO改革・二国間交渉で解決 |
「国家安全保障上の緊急事態」 IEEPA緊急権限を使って即時対処 |
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産業政策 |
「自由企業こそ貧困への最大の解毒剤」 政府の過度な介入を明示的に批判 |
「アメリカの産業基盤強化を 国家経済政策の最優先事項にする」 国防省による民間企業への株式取得を承認 |
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グローバリズム評価 |
混合評価:恩恵があるが改革が必要 |
「壊滅的かつ破壊的な賭け」中産階級と産業基盤を空洞化したと断定 |
エネルギーと気候変動:最も鮮明な価値観の転換
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次元 |
2017年NSS |
2025年NSS |
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気候変動 |
「温室効果ガスの削減を継続する」 パリ協定離脱後も削減目標は維持 |
「気候変動・ネットゼロのイデオロギーを拒否する」 気候政策そのものを「反成長の議題」と断定 |
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エネルギー源 |
「石炭・天然ガス・石油・再生可能 エネルギー・原子力」 全源種を列挙 |
「石油・ガス・石炭・原子力」再生可能エネルギーの記載なし |
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エネルギー支配 |
「エネルギー支配国」として同盟国に 選択肢を提供する外交ツール |
同左だが強化:同盟国のロシア依存からの脱却を主導する安全保障手段として位置付け |
西半球政策:外交的関与から軍事的介入へ
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次元 |
2017年NSS |
2025年NSS |
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ベネズエラ |
「ベネズエラの人々が自由を享受できる 日が来ることを望む」 外交的関与・民主化支援 |
「Donroe Doctrine」(トランプ・コロラリー) 必要なら武力行使を辞さない 2026年1月:マドゥロ政権を軍事作戦で打倒 |
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経済的動機 |
戦略的安定・民主化支援が主目的 |
「アメリカの石油会社が入り、 軍事コストを石油収益で補填する」 安全保障と経済的利益の明示的融合 |
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中国・ロシアの存在 |
「懸念すべき影響力の拡大」 |
「非半球的競合国の排除」 中国インフラ投資の積極的な駆逐 |
継続している要素
劇的な変化の中にも、2017年から2025年へと変わらず引き継がれている要素が5つあります。第一に「America First」というスローガンと哲学的基盤。第二に「力による平和(Peace Through Strength)」という抑止論。第三に中国とロシアを「修正主義大国」と位置付ける安全保障認識(ただし強度は大幅に増大)。第四に「エネルギー支配(Energy Dominance)」というビジョン。第五に同盟国への負担分担要求(ただし要求水準はGDP比2%から5%へと引き上げ)。これらは方向性において同一でも、規模と手段において別次元の政策です。
旧来の考え方 vs. トランプ2025年NSSの新しい考え方
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冷戦後の旧来の考え方(1991〜2017年) |
トランプ2025年NSSの新しい考え方 |
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軍事力=安全保障のための道具 経済政策=経済成長のための道具 (それぞれ別々の省庁が担当) |
軍事力+経済力=ひとつの統合された道具 (アメリカの目標達成のために一体として使う) |
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貿易赤字は経済問題であり、経済学者が考えること |
貿易赤字は国家安全保障上の「緊急事態」—緊急法を使って対処すべき問題 |
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同盟国への安全保障は無条件に提供するもの |
同盟国は相応の負担をしなければ、保護を失うリスク |
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ドルの国際的地位は、独立した中央銀行が管理する金融上の事実 |
ドル覇権・金融市場支配は国家安全保障を推進するためのレバレッジと明記 |
つまり2025年NSSは、アメリカの経済・軍・国際金融システムを、三本脚の一つの椅子として描いています。別々の部屋に置かれた別々の家具ではなく、一体として機能する構造物です。そしてその構造は、冷戦後の自由主義的国際秩序を改革するのではなく、置き換えようとしています。
NSSはこう明言しています:「経済安全保障は国家安全保障の根幹である」。さらに「アメリカの産業基盤を強化することを、国家経済政策の最優先事項にしなければならない」とも述べています。
次の投稿では、関税・ベネズエラ・イランの出来事をこのNSSの枠組みの中で説明してみようと思います。
その後、この枠組みの中で考えられうる経済政策について考察します。資産運用にとってはここが重要になると思います。